| 松下幸之助さんとの最終面接の時、第一声が「打越君、きみ合格や!男は度胸、女は愛嬌と言われるが、男も愛嬌が大切。きみにはその愛嬌がある。」と。 |
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昭和56年3月に九州大学経済学部経営学科を卒業し、
同年4月、競争率約2,000倍の難関を突破し、財団法人松下政経塾の2期生として新たなスタートを切りました。
鹿児島、宮崎、熊本等で地域フォーラムを開催し、地域の方々と町おこしを研究しました。
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指宿地区青年団にも所属し、活動を開始。
昭和58年〜60年は、指宿地区青年団連絡協議会会長を務めました。
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松下政経塾生時代は、積極的にさまざまなフォーラムへ参加しました。
業種・分野の異なる方々と本音でディスカッションすることにより、学んだもの・得たものは大きいです。
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昭和61年12月、青年団活動を通じて知り合った美千代(旧姓大吉)と恋愛の末、結婚しました。
その翌年4月に鹿児島県議会議員選挙に初出馬するも、力およばず落選という結果に終わりました。
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その後4年間、「裸一貫」「今度こそ」を合言葉に指宿市内をくまなく周り、親交を深めるよう努力しました。
その結果、平成3年4月に鹿児島県議会議員選挙に再度挑戦し、初当選することができました。
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